ト チ ノ キ オ ク


「夜、クラスでコンサートがあるんだけど、来ませんか」2、3年、いやもっと前だったか、職員のMさんが通う英語学校の教室で、先生がコンサートを開くという誘い。

当日午後9時、訪ねたのは、10人も入れば一杯の小さな「教室」、デスクライトがひとつ、電子キーボード1台、簡素な会場。イギリス人とオーストラリア人の男の先生がふたりで歌い、手作りの雰囲気が心地よく時間は過ぎ・・・そして後半、あらわれたのが"ディジェリドゥー"。 まるで、"ビビディバビディブー"?? 呪文のようなそれは、初めて出会う「楽器」だった。

didjeridu ディジェリドゥー

北部オーストラリアのアボリジニが用いるマウスピースなしの自然トランペットで、長い筒型の直管の先端に直接口を当てて吹奏する。・・・現在はディジェリドゥーの名称で一般に知られているが、おそらくこれは、ヨーロッパ人による擬声的造語であろう。西オーストラリア北部からアーネムランド半島を経て、北部クイーンズランドに至るまでのディジェリドゥーが用いられる北部諸地域では、アボリジニによる呼び名が40ほど知られている。外側の樹皮をはいだ、白蟻が空洞にしたユーカリの大枝で作り、両端の内壁を削っていくらか薄くしたものもある。・・・ディジェリドゥーは、トテーム的シンボルや樹皮彩色技術により、黄土や粘土を使った図案でしばしば装飾されるが、それ以上物理的に手を加えることはない。好まれる長さは地域により1mから1.5mまで差異があり、内径は基部の端で約3.5cm、先端では7.5cmまでである。2.5mかそれ以上の例外的な大きな管はジュングワンdjungguwanの儀礼で演奏され、ここではこの楽器はユルルングルまたはジュルングイ、すなわち「虹の蛇」を象徴する。
(ニューグローブ世界大音楽辞典より)

先生は立って、管の先を床につけて息をいれる。ふくろうの声に似た、打楽器っぽい音、吹いているというか歌っているというか。床には小さなキャンドル。どこからか乾いた土と風の匂いがしてくる。都会のビルの中でこれを聞くというのは現代的で、でもどこか切ない。印象的な晩だった。

ふと、今の日本のことを思う。そんな楽器が、身近にあるだろうか。それらを手に、生まれ育った土地のうたを口ずさんだりしているだろうか。「伝統音楽」なんて、とくに構えない、近所のお祭りみたいなものだっていい。

資料室のある東京・恵比寿の街にも、毎夏、都会とは思えない、夢のよう、に幻想的な盆踊り大会がある。場所がら、外国人の姿も多く、ことしは、ヘビのようになめらかな手つきが不思議な、美しいインドの青年がひとり、その傍らで、日本の子どもの手足が刻むリズムには、やっぱりちゃんと、日本人のDNAがある。

ホント不思議、面白い。毎年そう思っている。

みちしるべ

民音音楽博物館 http://www.min-on.or.jp/library/

小泉文夫記念資料室 http://www.geidai.ac.jp/labs/koizumi/

「アジア音楽史」/ 柘植元一, 植村幸生 編 (1996, 音楽之友社)


初出:「ハーモニー130号2004年」2004.10.10発行/
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