トップ > 国際 > WYC > WYC2001に参加して

World Youth Choir 2001 in Venezuela
世界青少年合唱団2001に参加して
ベネズエラ〜フロリダ

Conductors: 
Felipe Izcaray, Anton Armstrong
Rehersal Camp:
Merida
Concerts in:
Merida, Carora, Caracas, Maracai (Venezuela)
Miami, Orlando, Gainesville, St-Augustine, Tallahassee, Boca Raton (Florida - USA)

 7月19日から8月14日に行われた世界青少年合唱団2001。日本から6名の若人が参加しました。リハーサルキャンプ地は、南米・ベネズエラ。コンサート・ツアーは、ベネズエラからフロリダへ。二人の指揮者を迎えて行われたWYCの様子を参加したみなさんから伝えていただきます。


気持ちを結びつける合唱に身を置き

宮國泰斗(テナー)

 私にとって今回参加したWYCのベネズエラ・フロリダツアーは生涯忘れ得ない体験となりました。海外旅行自体初めてであった私にとって、見る物聞く物出会う人全てが新しく、毎日が驚きとチャレンジの連続でした。日本を初めて離れ、不安と期待を胸に南米の地にたどりついた私をまず待っていたものは、腹下しと英会話との戦いでした。広大な山並みが美しいメリダにあるホスペデリアというホテルで始まったリハーサルキャンプでしたが、練習が始まって2、3日待たずにメンバーが次から次に腹痛を訴え休み出したのです。
 もちろん私もその中の一人で、何日か練習場、ベッド、トイレというトライアングルを行き来しながら回復を待ちました。その時は、「このまま息絶えてしまうのではないか」と本気で考えた程でした。そんな私に気力を持たせてくれ、何とか練習が続けられたのが他のメンバーからの「体調はどうだ?」とか「薬飲んだか?」という何気ない一言のお陰でした。日頃同じパートの人の楽しそうな会話についていけなくて、何かとり残されたような孤独な気持ちを少なからず持っていた私にとって、その何気ない一言が何よりの薬でした。また、台湾のメンバーから「私は正露丸です。」という意味の「フォーシューチェンルーワン」という言葉も教わり、腹痛で得た思いがけない収穫でした。
 腹痛の話ばかり書いてしまいましたが、そのように苦しい体験ばかりではなく、それをカバーして余りあるような経験もたくさんありました。まず、何といっても<合唱>です。「何を今さら当たり前のことを…」と自分でも言いたくなるような感想ですが、合唱をあまり経験してこなかった私にとって、WYCの地響きがするようなハーモニーは、もちろんそのような中で歌ったことはなく、そして今だかつて聴いた事のない、人間が出しているとは思えない程の迫力でした。私が一番好きな曲の1つに、故郷の川を懐しんで歌うアメリカ民謡の「Shenandoah」があります。女声のユニゾン、男声のユニゾンの後、一瞬の間を置いて静かに始まる8声の響きは、その和音が鳴り出した瞬間に、会場中がその川の流れに包まれるかのようになりました。何度歌っても、その瞬間だけは鳥肌がたち、言い表せない感動に満たされた事は、今でも鮮明に体に染み込んでいます。この曲を歌っていると、何故か私が住んでいる沖縄の海が思い出され胸が詰まる事も度々ありました。
 素晴らしい体験といえば、書かずにいられないのが様々な人達との出会いでした。メンバーはもちろんのこと、指揮者の2人、スタッフ、コンサートの後に声をかけて下さる聴衆、ベネズエラの児童や一般の合唱団、フロリダでのホストファミリー…。すべての出会いが私に何らかの影響を与えたと信じています。WYCのメンバーは世界30カ国以上から来ていますから、練習中や移動中のバスの中では周囲から様々な言語が飛び込んできます。バスで座っている時、左から中国語の討論らしき声、右からドイツ語の冗談らしき声がサラウンド効果で同時に聞こえてきた時には、さすがに不思議な感じがしました。違いを感じたのは言語だけではありませんでした。それぞれの国によって置かれている境遇、状況、考え方、コミュニケーションのとり方、果ては結婚後の名字の名乗り方まで様々な違いがあるという事を、ベネズエラという一つの国にいながらにして知るという貴重な経験が出来ました。メンバーの中には内戦を経験した人、野菜しか食べない人(お肉、お魚を食べない「ベジタリアン」と呼ばれる人。ダイエットの為ではないそうだ…。)一夫多妻制が可能だという国の人など、日常の私の生活からは想像を超えるような事を聞かせてもらう事が度々ありました。そのような中でも、忘れる事の出来ない交流の一つにキューバから来たアリェール君と話した事が思い出されます。キューバ人である彼は、アメリカ合衆国に渡る事が極めて難しく、ベネズエラ滞在中にビザ取得の為最大限の努力をしましたが、結局合衆国に入国することは許可されませんでした。その彼が、ビザ申請中で面接を受けるという前日に、夕食でたまたま私の隣の席になりました。クリスチャンである私に「この曲分かるか?」と賛美歌を歌い出し、私も知っている曲があったので食事が運ばれて来るのを待つ間、ずっと口ずさんでいました。彼は本当に澄んだ声を持っていて、まるでその声を表しているかのようでした。その彼の声を聴きながら考えた事は「国境という壁は超えられなくても、歌は人の心を一つにするんだ。」という事でした。本来なら、一緒にツアーを続けるべきであったアリェールが途中で帰国するかもしれないというショックが大きい中、私が何か声をかけることが出来たはずなのに、逆に励まされ、そして教えられたと感じ、感謝の気持ちで一杯でした。
 どんなに辛くて、自分の思い通りにいかなくて、孤独を感じている時でも、合唱の中で歌い出し、そして歌っている団員の顔を見ると、いつのまにか気持ちが晴れ歌う事に集中出来ました。それは歌には建前がなくて、その曲の気持ちをストレートに表現することが出来、例え言語が通じないとしても、その心を通わせる力を持っているからではないかと思います。今回WYCのツアーを終え、改めて自分が歌に携わっている事に感謝の気持ちが持て、これからも触れ続けていこうという再確認をすることが出来たのではないかと考えています。


世界の歌声が響く夏 

安藤れい子(ソプラノ)

 私のWYCはマイアミから乗った飛行機の中から始まった。そこではたまたま台湾人のメンバーと隣り合わせになり、彼女から去年の様子を教えてもらい、同じ飛行機に乗り合わせたメンバーを紹介してもらうことができた。なにせ、英語で会話することに慣れてない私は、まず聞き取ることから手間取って、話すことといったら自分の自己紹介することだけで精一杯だった。
 それからの数日間は、「Nice to meet you!」の嵐の中、名前と顔、国籍、パート、それらを結びつけるだけで頭がパンクしそうになるくらいだった。それもそのはず。メンバーは84名もいて、30ヶ国以上の国から集まっているのだから。去年のセッションに参加した人たちや、もう何度も参加している人たちは、「久し振り!!元気だった?」と再会を抱き合って喜び、初めて会う人同士は握手で挨拶をした。
 まず、最初に滞在したベネズエラという国はブラジルの北に位置し、言語はスペイン語。ベネズエラ首都・カラカス出身の「南米解放の父」と呼ばれるシモン・ボリーバルを英雄として崇め、一番高い山にも湖にも通貨の単位にも彼の名前を付けているおもしろい国である。北回帰線よりも南に位置するため、カラカス空港についた瞬間から熱帯のジリジリとした暑さに肌が焼けるようだった。しかし、リハーサルを行ったメリダという都市はカラカスからバスで14時間以上も離れた所で、しかもまた町の中心部からバスで30分くらいかけて山道を登った山間部にホテルがあったので、軽井沢の高原のように涼しくすごしやすい所だった。メリダの街は治安の悪いカラカスとは違い、人は親切でショッピングや観光もグループで楽しむことができた。物価も安いため、アイスクリームが250ボリーバル。日本円にして40円くらい。数字が大きいのでたくさん買い物したような気になるけれど、実際は大した値段ではないので得した気分を味わえた。
 リハーサルは軽い体操と発声練習の後に始まった。これが初めて出す音とは思えないくらいのボリュームと響き。これには、驚いて一瞬歌うのを止めてしまうくらいだった。べネズエラの指揮者、フィリペ・イズカライ(Felipe Izcaray)氏のもと、 "BINNAMMA" −ベネズエラを代表する作曲家のアルベルト・グラウ(Alberto Grau)氏が、多くの犠牲者を出した大雨の悲劇をもとに書いた−を歌う。本番−前半は息混じりの乾いた声が切迫した空気を生み、ステージ上に風が吹くかのよう。会場の人々も息を呑んだ。後半、インディアンの祈りの歌と踊りを取り入れ、体の動きも加わり、クライマックスへ。わたしたちの歌は大きなパワーとなって、天へ向け、伸ばした両手から投げられた・・・「BI-JI-NAMMA!!」そして、地鳴りのように湧き起こる歓声と拍手。力強いフィリペの指揮に導かれ、「祈り」を奏でた瞬間だった。もう一人の指揮者のアントン・アームストロング(Anton Armstrong)氏は黒人のアメリカ人だった。彼は、黒人であることをアイデンティティーの一つとして位置付け、"Keep your lamps" という曲を取り上げて演奏するにあたって、奴隷制度の行われていた時代について「決して繰り返してはならないこと」だと熱く私たちに語ったことがあった。私の乏しい英語力では全てを理解することはできなかったが、彼の言わんとするところを体で受け止めようと、曲に対する気持ちが大きくなった。アントンの指揮する曲で私が一番印象深かったのは、ペンデレツキー(Krzystof Penderecki)の"Stabat Mater"であった。それは『これぞ現代曲!!』と言うような複雑で難解な、今までの私だったら投げ出したくなるような曲だった。しかし、アントンの指揮のもと入り組んだ構成が紐解かれ、彼の棒の一振りで祈りや叫びが湧き起こる、非常に完成度の高い曲に仕上がった。それに至るまでの練習過程も、皆の意識が彼の指に集中し、リハーサル室が張り詰めた空気に包まれ、それぞれの音によって1本の絹糸を紡いでいくような練習が続いた。繰り返し音を確認しながら進める練習は、一見、単調でつまらないようにも思えるが、私はその張り詰めた集中力が好きだった。そのピンと張った糸は最後の和音"Gloria"へと導かれ、輝かしい解き放たれた瞬間を迎えることができた。そして、アントンが「Yes!!」と叫ぶ時、それは最高の響きで最高の瞬間であると、私たちも体で感じることができ、涙がこぼれそうになるくらいの感動を味わうことができた。
 今こうして、WYCを振り返ってみても、私が経験することができたこの夏は、何物にも換え難い貴重な経験として私の一部となっている。音楽的なこと以外にも、国境を越えた心の交流をすることができ、今は地球のいたるところに散った仲間たちと、芸術プロジェクトの域を越え、政治、文化の違いにかかわりなく、音楽に惹かれ、歌うことを愛するということで結びつくことができた。学生最後の夏休みを、最も充実したものにすることができて、心から良かったと思っている。今後の自分の合唱活動にこの経験を活かし、歌を歌うことの素晴らしさを感じ、伝えられるようにしていきたい。
 最後になりましたが、今回参加するにあたってご支援下さった全ての方たちに御礼申し上げます。本当に素晴らしい夏を過ごすことができました。ありがとうございました。


ベネズエラ音楽の夢

木場義則(ベース)

 念願だったWorld Youth Choir参加、開催国はベネズエラ、そんなところに合唱音楽なんてあるのだろうか。あの手この手で調査をはじめると、実は合唱がとても盛んなことがわかってきた。
 この国の合唱については、ハーモニーで石橋純さんによってすでに紹介されているが、実際現地へ行くと、本当にたくさんの合唱団がある。幸せなことに、非常に多くの合唱団と交流の機会に恵まれた。実力はさまざまだが、その熱いラテンの音楽を堪能した。優しくて気が良く、気取らず、細かいことを気にしない−この国の人々の魅力はそのおおらかさ。盛り上がればよしとする根っからの明るさがいい。僕たちWYCの演奏も彼らの大熱狂の渦に包まれてしまった。
 WYCは例年と同じく2人の指揮者を迎えツアーを行った。クールなベネズエラ人、フェリペ・イズカライ、そして熱きヒューマニスト、アメリカのアントン・アームストロング。2人ともすばらしい指揮者、格好よかった。ヨーロッパの伝統音楽に加え、メキシコのポリフォニーから、サルサ、ゴスペル、カリプソ、ベネズエラの現代音楽、といった南北アメリカ大陸のさまざまなスタイルの作品を取り上げ、短いリハーサルでガンガン仕上げていく。
 現地での運営の中心となってくださったのが、指揮者のマリア・ギナンドさん。一見小柄で優しそうな普通のおばちゃんだが、ベネズエラの合唱音楽は彼女なしには語れない。マリアと呼ばれ、周囲から慕われるその人柄と行動力で音楽界を牽引してきた。「皆さんは若い。それは本当に素敵なことです。なぜなら、世界中からやってきたユースである皆さんは、私たち誰もの夢であり希望であり、未来だからです。未来を創っていくのが皆さんなんです。お客さんはユースクワイアを楽しみ にしていますよ。」と僕らを1stコンサートへ送り出してくれた。幸せだった。僕がベネズエラの作品をぜひ日本で演奏したい旨伝えると、次の日、封筒いっぱいの楽譜の束を届けてくださった。献身的に、そして前向きに動き回る姿、笑顔で語る言葉の端々から、ベネズエラ合唱音楽への大きな夢が窺われた。今秋来日する。
 ところで一つ困ったことがあった。現地で渡そうと、お土産に日本の合唱作品のCDを持っていった。ところが、CDに英語の解説がない。解説は無理でも、せめて曲名や作曲家、指揮者くらいはアルファベット表記が付いていれば世界中誰もがそのCDを手に取ることが出来る。英語が公用語のWYCメンバーたちも、日本の合唱音楽に関心を持っている。となれば、そうした音楽の周辺の事情も重要だ。
 ベネズエラは日本と同様英語のあまり通じない国だが、合唱譜にはたいてい簡単な
英語の解説が記されていた。その多くはマリアさん本人が書いている。これも自国の
合唱を広く伝えようという思いの表れだ。現在、国の政治も経済も必ずしも良い状態ではない。それは街へ出ればすぐわかる。しかし合唱音楽に限っても、人々は熱気に溢れ、夢を携えて大きく未来へ動いている。


夢のような日々〜ベネズエラで出会ったひと・こと・おんがく

塚田郁子(アルト)

  WYCで過ごした1ヶ月は、毎日がとても充実していて、あっという間に過ぎ去ってしまいました。私にとって、まさに夢のような1ヶ月でした。
 日本からアメリカで飛行機を乗り継いで18時間、ベネズエラの首都カラカスに着くと、オレンジ色の光の美しい夜景が私たちを迎えてくれました。今年はこのベネズエラで、2週間のキャンプと1週間のコンサートを行った後、フロリダに渡り、1週間コンサートを行いました。特に、未知の国ベネズエラでは、驚きと感動の連続でした。ベネズエラはとても合唱の盛んな国で、私たちの練習を見学に毎日多くの人が訪れていました。私たちの演奏を聴いてもらうだけでなく、現地の少年少女合唱団や大学の合唱団と交流の場があり、そこでベネズエラの陽気でエネルギッシュな演奏に直に触れられたことは、とても貴重な体験となりました。曲の特徴としては、"クワトロ"という弦楽器で指揮者が伴奏しながら歌う曲や、効果音的な歌詞を多用した曲が多かったように思います。またコンサートでは、聴衆の人々のテンションが高く、演奏をしている私たちも彼らから多くのパワーをもらい、より一層演奏に熱が入りました。
 ベネズエラでの経験を通して、こんなにも素晴らしい音楽や文化を持った国についてほとんど知らなかった自分が恥ずかしくなりました。ヨーロッパに偏らず、もっとさまざまな国の音楽や文化にも目を向けなければならないと、改めて実感しました。
コンサートは全部で12回行いましたが、フロリダで、以前のWYCの指揮者が聴きに来られた時のコンサートが、最も感動しました。81人のメンバー一人ひとりの集中力が集まると、あんなにも素晴らしい演奏がうまれるということを肌で感じました。
 今回のWYCでただ1つ悲しかったことは、ベネズエラからフロリダに渡る際、1人のメンバーと別れなければならなかったことです。それはキューバのメンバーだったのですが、現在キューバとアメリカは国交がないため、アメリカへの入国が許可されなかったのです。ベネズエラ最後の演奏会では、みんな涙を流し、彼との別れを惜しみました。
 WYCでの経験は、合唱の素晴らしさに限らず、実にさまざまなことを私に教えてくれました。このことは、きっと私の人生において、大きな影響を及ぼすことでしょう。この壮大なプロジェクトの実現に力を注いでくださった多くの方々に心から感謝いたします。本当にありがとうございました。


未知の国ベネズエラを訪れて

 佐伯明美(アルト)

 今年は私にとって2度目のWYCとなりました。ベネズエラについて無知だった私は、期待と不安を抱いてその地を訪れました。現地でのメンバーとの再開は想像以上に感動的で、不安もどこへやら昨年のスペインでの楽しい日々を、一気に思いださせてくれました。再び同じ時間を共有できる喜びと、新しいメンバーとの出会いに胸を弾ませました。
 ベネズエラの田舎町は非常に貧しく、おそらく音楽を聴く機会などほとんど無いに等しいと思われるところもあり、驚きの連続でした。広場で数曲歌い、私たちの音楽を聴きに「教会に来て下さい」と訴えたこともありました。開演前はたくさん空いていた客席が、コンサートが進むにつれて満席になり、最後のアンコールではみんな立ち上がって教会中の人の心が一つになるのを感じました。日頃音楽を聴く機会の少ない、こうした人々に聴いてもらう事こそ、世界青少年合唱団の役割だろうと心から感じました。言葉、文化、人種そして宗教もみんな違うけれど、同じ時間を一緒に過ごし、一緒に感動できることがどれだけ幸せなことかと思いました。
 今回の旅では特に現地の合唱団との交流が多く、児童合唱や女声合唱の指導をしている私にとって、大変興味深いものでした。南アメリカの軽快でリズミカルな音楽は、子供から大人まで、本当に身体で音楽を楽しむことの喜びを教えてくれました。また、ベネズエラの合唱指揮者マリア・ギナンドさんや合唱スタッフとは、ベネズエラの音楽をぜひ日本にも伝えたいと話ができ、親切にも楽譜を頂き、歌も歌って教えてくれました。世界中の人達が音楽を愛し、交流を持つことで世界が一つになっていく事を願います。
 昨年のスペインに続き2度もWYCに参加することができ、本当に幸せに思います。この経験をこれから日本でどういう形で生かしていったらいいのだろうと、真剣に考えています。学んだことの大きさを考えると、私に出来ることは本当に小さいことですが、とにかく精一杯を尽くしたいと思います。今回が私にとって最後のWYCです。応援して下さったみなさん、心から感謝します。そしてこれからWYCを目指すみなさん、自分のため、将来の日本の合唱のため、そして世界のために勇気をだしてぜひチャレンンジして下さい。ありがとうございました。


民族、文化、共生 〜合唱音楽の可能性〜

春山 連(ベース)

 今年のWYCで印象に残ったことは、まずはベネズエラの合唱音楽の魅力にじかに触れることができたということです。今回のWYCのレパートリーには南米の合唱作品が多く取り上げられました。17世紀メキシコの、まさにヨーロッパのポリフォニーそのままの宗教音楽.。20世紀ベネズエラの作曲家による、印象主義的な作品。それに、つい数年前に書かれた、声による新しい表現の可能性を開拓する作品。『BIN-NAN-MA』 (Albert Grau)という、5万人の死者を出した大雨の悲劇をもとに作られた曲は、インディアンの祈りの歌と踊りが取り入れられており、その独特の唱法をマスターするのにみな苦労していました。しかしその生のエネルギー、生への祈りに満ちた曲は次第にメンバーの心をつかみ、その演奏はとても感動的なものになりました。ベネズエラのお客さんはWYCを熱狂的に受け入れてくれました。あんなに熱いお客さんには今まで会ったことがありません。
 また、ベネズエラにはとても多くの合唱作品、合唱団がありました(カラカスのオルフェオン大学には大学合唱団だけで15団体もあるそうです!)。興味深かったのは、彼らの歌う曲は、ほとんどがベネズエラ、それにラテンアメリカ諸国の曲だった、ということです。民族楽器の音とリズムを声で模倣して歌う曲、クアトロという弦楽器の伴奏で歌われる陽気な曲など、西洋のクラシック音楽のハーモニーを基本としながら、ベネズエラならではの個性が感じられるのが特徴です。それを歌う人たちの声、表情はとても喜びに満ちていて、全身で音楽を楽しんでいます。音楽と人々との自然な、また必然的な関係がそこにはありました。このことは現代日本に住む私たちと音楽との関係を考える上で、非常に示唆に富んでいます。異文化をどう受容し、それをどのように自らに生産的に関係付けることができるか。日本に本当に合唱音楽が文化として根付くためのヒントの1つが、ベネズエラにはあったように思います。ちなみに、WYCでも『Salseo』という、サルサのリズムを模倣した曲を演奏しました。歌っていると自然にステップを踏みたくなる曲で、大いに盛り上がりました。
  「WYCは単なるゲストではありません。ベネズエラの合唱運動の一部なのです。ベネズエラの人たちが、最高の音楽を作るために国や文化を越えて集まったWYCと、合唱を通じて1つの空間を共有すること、このことはどれだけベネズエラの、ひいてはこれからWYCが訪れる国の財産になるか知れません」というマリア・ギナンド女史の言葉は象徴的です。WYCの存在は、単なる国際化という次元では語れないと思います。それは、合唱を通じて、最高水準の音楽というものを通じて、差異のあるすべての人が共に生きることを可能にする場を開く存在だと思います。このような場に身を置けたことを心よりうれしく思います。ありがとうございました。


演奏作品リスト
EXSULTATE IUSTI IN DOMINO (JUAN GUTIERREZ DE PADILLA, MEXICO)
COENANTIBUS ILLIS (JUAN DE LIENAS, MEXICO)
PSALMS (EDWARD GRIEG, NORWAY)
STABAT MATER (KRZYSZTOF PENDERECKI, POLAND)
LAMENTACIONES (ALBERTO GRAU, VENEZUELA)
ANTHEMS (WILLIAM BILLINGS, USA)
REINCARNATIONS (SAMUEL BARBER, USA)
MADRIGAL (JOSE ANTONIO ABREU, VENEZUELA)
AL MAR ANOCHECIDO (GONZALO CASTELLANO, VENUEZUELA)
CANCION (EDUARDO ALONSO CRESPO, ARGENTINA)
ARROZ CON LECHE (CARLOS GUASTAVINO, ARGENTINA)
SALSEO (OSCAR GALIAN, VENEZUELA)
SELECTION OF VENEZUELAN POPULAR MUSIC, NEGRO SPIRITUALS, AFRICAN AND CARIBBEAN SONGS


| 国際トップ |